浸潤性乳管癌と診断されて 3

「癌は誰でもなるもの!でも、まさか自分がなるとは思わないのが癌!」

翌日、ちょっとブルーな気持ちを抱えつつ
朝2番目に病院の入口に並んだ。
スーツを着てビジネスマンバックを片手に本を読んでいる叔父さんの次に並んだ。
しばらくすると叔母ちゃん達が並び始めた。
狭い階段には患者さんの列が伸びていった。
「早くシャッターが開かないかしら」
叔母ちゃん達が話し始めてしばらくするとガラガラと音を立てながらシャッターが開き
奥にある入り口のドアが見え始めた。

待合室では柔らかめのソファに座り持って来た本を読んではいたが少しうわの空だった。

名前を呼ばれマンモグラフィーの検査が始まった。
痛いと言われるマンモ!
何度か経験はあるが毎回私は痛みは感じず
ちょいと胸大きいのと年齢的に張りがないからかもしれない。

検査が終わりまた待合室にて呼ばれるのを待った。
どのくらい待っただろうか、
名前を呼ばれて診察室に入った。
画像を見ながら先生からは
「腫瘍が毛羽立っているからあまりな良くないかと思われます。形からすると乳癌の可能性が高いです。細胞診の検査が必要ですが、時間はありますか?今日だと合間にお入れするのでお待たせしてしまいます。お仕事のご都合もあるでしょうからご都合の良い日でも」
と言われましたが尽かさず
「待つのは大丈夫です。今日出来るのであれば今日お願いします。」
と返事をしてまた待合室に戻った。
「毛羽立つ⁇良くない形。」
その言葉が頭に染み付いた。

待つ事1時間位だっただろうか
名前を呼ばれて診察室へ入った。
細胞診はエコーを見て腫瘍の位置を確認し注射器で腫瘍を採取するのだが
細い針が胸の肉に差し込まれていく感覚が異質で恐怖を感じた。
確かに痛いが想定内の痛さではあった。
検査結果は1週間後と言われた。
病院に結果が届くその日に予約を入れてもらった。
先生も出来る限り最短で予約を入れてくれている。
「早い方がいい」
「毛羽立っている」
「形が良くない」
「乳癌という見解」
言葉が脳裏にとどまっている。

病院の駐車場で派遣会社の担当者に事情を話し有給の手配をした。
その後直ぐに母に電話をした。
「乳癌かもしれない!」と話した。
母はショックだったと思う。
5年前に弟が「肺癌」になった。
手術と抗がん剤などの治療で今も健在だか
無事に5年経過した途端に娘から「癌告知」。
ナイーブな母はまた落ち込んでしまうんだろうなぁと思いつつも
早目に知らせないとそれはそれで落ち込んでしまうのと私的にも自分の窮地を話したかったのだと思う。
やはり親だから頼りたかった気持ちがあったのは事実だたと思う。
今、手放しで泣き言を受け入れ支えてくれ安心して委ねる事が出来る相手は浮かばなかった。
母と姉以外では。。。

そのまま会社へ向かった。
お昼までには少し早い時間だった。
派遣先である会社の上司と隣のラインのオペレーターに事情を話した。
「乳癌みたいで、、、」
自分が休む時には代わりのオペレーターを手配しなければならない。
休むためにもきちんと説明して
理解しともらわなければならないので
ありのままを伝えた。
一様に驚いていた。
冷静に話したからだろうか?
私はこの先の仕事のことやお金のことなどで
頭の中がぐるぐるしていた。
どちらかと言えば生死の心配よりも仕事や収入の心配が大きかった。
せっかくついたオペレーターの仕事。
やっぱり機械と向き合っている方が好きなんだと確信し、この仕事ならば以前の空調より年齢重ねても続けられるし手放したくなかった。
あと、やっぱり女性の象徴のひとつである胸を失う事は受け入れがたい事で想像が出来なかった。
もちろん、症状は腫瘍だけで明確な痛みなど無いし、まだ本当の意味での受け入れと覚悟が出来ていなかったと思う。

検査して1週間後の結果を積み重ねていく作業を繰り返して行く。
少しずついろいろな選択を自分の中で定めて行きながら。。。


陽菜祀~hinamaturi~

帯や着物のリメイク品、障子のbookカバー、行灯など和をテーマに販売をしています。 奇数月には「魔法探偵団」を開催しています。 ドックフード(アーガイルディッシュ)の予約販売もしています。  ~現在、病気の治療の為、休業中です~

0コメント

  • 1000 / 1000