浸潤性乳管癌と診断されて 10

「癌は誰でもなるもの!でも、まさか自分がなるとは思わないのが癌!」
CTとMRIの検査結果も含めての診察。
当日、生検(組織診)はやるんだったかな?と分からなくなっていました。
この日は11時からの予約。いつもより早め。
すでに待ち時間で本を読む事は無くなっていました。読んでもうわの空にしかならないので諦めました。

この日を迎える前の週末に知り合いのお見舞いに行きました。
9月の終わりに釣りの約束していて突然連絡が途絶えてしまって
絶対に何かあると確信して奥さんに連絡したら 脳出血で意識混濁と報告を受けました。
その後、2度の手術を経て今はリハビリの病院に転院になってました。
あんなに巧みに携帯も操作していたのに今は上手く使えないと聞いていましたが
本人からLINEが来たので会いに行こうと決心しました。
LINEの内容は解読しないとわからない内容でしたが、私は凄く嬉しかったです。
彼は船好き、酒好き、遊び好きの知り合い。
私が人生の岐路に立った時に励ましてくれた人。
船上の花火を見せてくれて
「陽子、泣くなよーー!」
と船の無線で叫びやがった 笑!
まぁ、その時は以前の生活が散々で泣き疲れて涙も枯れて果てていたけどね。
それ以来の再会。

以前、彼は焼鳥屋を営んでいてそこで仲良くなった友人と行きました。
右側の脳からの大出血だったらしく左側が麻痺して今はリハビリ中の彼は20キロ近く痩せていました。
以前は割腹良かったんですが。
丁度行った時はリハビリから病室に戻ってくる時間帯だったのでエレベーターの前で待ち伏せしてました。
しばらくしてエレベーターの扉が開き、看護師さんを「鬼軍曹!」呼ばわりして騒がしく降りて来ました。
私達を見て一瞬「ハッ!」と秒視して通り過ぎそうになって、私も似た人?となりかけましたが鉄丸のTシャツを見て間違いない!と確信して
「私、わかる?」と話しかけました。
痩せて車椅子に乗っているけどあの憎まれ口は間違いなく 鉄ちゃん !
会えたーーー!嬉しかった。生きてる。
冗談交じりながらたくさん話した。
私の病気も話した。
どっちが早く復帰するか競争だねーって

今年は知り合いの不幸も重なった。
優しいお菓子を作っていた あっちゃん。
まだ若すぎる死。

8年生活を共にしたお父さん。
末期癌だった。

私は乳がんとわかって思った事。
今、私が旅立ったとして
私は旅立てる?

新たな生活を始めて3ヶ月位だった。
皆んなに「良かったね!」しか言われず
誰一人として戻る事を進めなかった。
そして、新たな生活は最初こそ狐につままれた気持ちがあって
自分が最後決断して夜逃げしたのに何処かふんわりした気持ちを持ちつつ
日々の生活が楽しくて仕方なかった。
周りの友人知人が楽しく囲ってくれていた。
感謝しかなかった。ありがたかった。
愛犬達も日々楽しそうで
いつしか、
とにかく早く帰らなきゃw
残業は避けなきゃw
機嫌を損ね過ぎない様にしなきゃw
の強迫観念が取り払われて行った。
こんな緩りと楽しくなった生活辞めたくない!
仕事も機械をさわる仕事になっていた。
やっぱり好き、機械。
もっと、入り込みたい。
仕事続けたい。休みたくない。

多分、奥底で
まだ、死ねないw死にたくないw
だったんだろう。
でも、死の言葉のワードじゃなくて
もっと、仕事して、楽しい時間を止めたく無かった。
治療になれば休職することになる。
そんな事したくない。
せっかく今のポジションまで来たのに!
しかも、胸!どーなるの?
無くなるの?
変形しちゃうの?
傷モノになるの?
私に何が残るの? だった。

病気になって1番辛かったのは「検査期間」とSNSによく乗っている。
なかなか先に進まない検査と結果待ちの時間。
私もそんな時間もあったが
私の弱さを知っているからか?
ひっきりなしにやってくる
楽しい時間や予定が次々とスケジュールに空きが無い 笑
考える時間を作らせないようだった。
病は気から!
モチベーションは下がらなかった。
検査をした日以外は。
でも、仕事を休職する事は時間をかけて自分を納得させて行ったと思う。
私には返って必要な時間だったのだろうと思う。
その時間をも有意義にしてもらっていた事にも感謝である。
皆んなありがとう。

予定より40分遅れて名前が呼ばれて診察室に向かった。



陽菜祀~hinamaturi~

和物のリメイク小物を中心に ペットの手作りおやつや ペットフードも販売しています。 奇数月には「魔法探偵団」を開催しています。 病気の治療の為休業しています。

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