浸潤性乳管癌と診断されて 6

「癌は誰でもなるもの!でも、まさか自分がなるとは思わないのが癌!」
前回検査した細胞診の結果を聞きに行きました。
この辺りから病院に行く時は有給を使わせてもらってます。
時給での給与なので有給の方が収入に響かないのと、本来なら2週間前の申請じゃないとと言われていたのですが、事情が事情なのでとの事で全て有給にしてくれている様になり助かってます。

前回医者から言われた
「腫瘍が毛羽立っているから乳癌の可能性がある」
との言葉から私は多分そうなんだろうと思っていました。
なんせ、専門医で何百もの症例を見て来た人が言う事はほぼ間違い無い。
この「毛羽立っている」はキーワードで癌腫瘍の特徴のひとつらしいです。

結果は陽性でした。
医者は「映像から見る腫瘍は乳癌の見解です。設備の整った病院を紹介します。どちらかご希望はありますか?」
優しい先生でした。
鈴木先生は元秦野日赤の先生でしたのでそちらを紹介して頂きました。
紹介状は翌日仕事終わりに取りに来る事となりました。

母に再度連絡を入れました。
もちろん姉にも。
そして、都内に在住の長男に連絡を入れました。
最初はどんな状況かを聞かれました。
その時は「多分初期、転移はしてないと思うけどまだそこまで結果は出ていない」と伝えました。後に長男から
「こんな事言ったら悪いんだけど、あんまり心配はしてないんだよね。だって、お母さん、今までいろいろな修羅場を乗り越えて来ているから、今回もお母さんなら大丈夫だって思うんだよね。きっと乗り越えるって!」
私には有難いメッセージでした。
下の2人の子供達は「ふ〜ん」でしたが
変わらずいてくれる事も有難い事でもあるし
私の「こうなったら治療に入るまで必死に遊ぶ!」に何度となく送り迎えしてくれる次男は引っ越ししてからずっと母のわがままに協力してくれてます。ありがとう😊

病院から紹介状を受け取りました。
データの入ったCDも入ったB4ほどの封筒を抱えて帰宅しました。
まだひと事のような気持ちも持ちつつ、
生死の心配よりも、これから仕事を休む事でオペレーターの仕事を干されるのではないか?との不安を膨らませていました。

この辺りで弟にも連絡を入れました。
弟は5年前に肺癌になり手術にて腫瘍摘出して抗癌剤治療しました。
ステージが低くかったので抗癌剤治療は弱い薬だったらしく髪の毛は抜けませんでした。
無事5年経過してひと山越えたところでした。
弟は肺癌の告知を受けた時「自分は死ぬんだ!」と思ったそうです。
私は「えっ!やっと、こんなに楽しく毎日過ごし始めたのに?仕事もこれからステップアップしようと思ったのに?AMRに行けなくなっちゃうの?それはヤダよー」で
「死」のキーワードが浮かばなかったのです。

こんなにポジティブでいられるのは周りの方々のおかげなんです。
勿論、ちょっとたまに沈みそうになりますよ。一応人なんで😉
そんな時に「綺麗な景色が見たい」の言葉に何も言わずにドライブに連れて行ってくれたり、スケジュールに空きが無くなるくらいにくるお誘いの嵐やステキなイベントに足運んだり!
いろいろ深く考える事なくこの後続く検査期間を過ごせました。
ちょっと落ち込んでも直ぐに上げてくれる環境でモチベーションを保ったのです。

病は気から!
これって当人とっては勿論大事だけど
間近の人達にとっても大事なんだと思います。
どんより沈んでいたら、周りもピリピリしてしまって、病気が喜んで発展して行くと思うんです。

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自然界のヒーリングで魂を覚醒させ自己実現へ導く!

≪魂のトラウマ解放ナビゲーター≫ の一野瀬陽月です✨ がんと闘いを経て生きる事の凄さと 素晴らしさを皆様にお届けしています。 丹沢山麗の地から 普段の生活を盛り込んでアーカイブしています。